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沿革

1991年から、玉川町とスリランカのマータレ(matale)市は交流を継続しています。
その始まりは、玉川町からマータレ市へ消防自動車を送ったこと。交流を重ね、当時の渡部修町長とランジット・アルビハレ市長は、相互訪問を果たしました。アルビハレ氏が記念植樹したケヤキは、シンハラ語の刻まれたモニュメントと共に、玉川町のグリンピアの丘に今も大きく成長しています。

交流のはじまり。

玉川町とマータレ市との交流は、1991年、町内の縫製企業による工場進出がきっかけとなって始まりました。
「一番不足しているのは、消防車と救急車」
進出計画の最中、マータレ市関係者から聞いたその言葉が玉川町関係者に伝えられ、1992年、町から市へ、中古の消防車2台が贈られました。民間レベルでの交流を重ね、1994年には両市町の間で友好宣言の調印が実現。同年、当協会が発足しました。

苦難の期間。

スリランカ国内で内戦が勃発し、交流が途絶えたこともありました。
その状況が気にかかり、新聞に内戦の記事が載るたびに、切りぬいて保存していました。 当時の新聞を振り返ると、反政府ゲリラによる無差別テロは、1995年から1997年にかけて特に激しかったようです。
日本ではその後、市町村合併の波が起こり、玉川町も今治市に編入してしまいました。

そして、30年。

今も、交流は続いています。
当協会の目的は、スリランカをはじめとした世界の子供たちに機会を提供することです。適切な情報と手段さえあれば、人は自己の能力に目覚め、潜在する可能性を引き出すことができます。輝く島(Sri lanka)から世界へと、子供たちの活躍の場を広げていくことを目標に、支援活動をしています。
当協会の詳しい交流支援活動の内容については、直接、お問い合わせください。

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