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国宝『奈良原山経塚出土品』とは

平安時代後期の作と思われる銅宝塔を中核としたこの国宝一括は、昭和9年(1934年)、楢原山山頂・奈良原神社での雨乞いの準備をしていた地域住民により発見されました。

戦前の国宝保存法、および戦後の文化財保護法どちらでも国宝として指定されたこの遺物には、いまだ解き明かされていない謎が眠っています。

「なぜ、楢原山に埋められたのか?」

「いつ、まとめて埋められたのか?」

「誰が、この遺物を作らせたのか?」

​手がかり少ないこれらの謎の真相を求め、多くの研究者たちが今も考察を重ねています。

国宝『奈良原山経塚出土品』一覧

銅宝塔(どうほうとう)/1

銅経筒(どうきょうづつ)/1

銅鏡(どうきょう)/5

檜扇(ひおうぎ)/2

青白磁盒子(せいはくじごうす)/2

金銅笄(こんどうこうがい)/1

刀子(とうす)/20

銅鈴(どうれい)/5

鉄鈴(てつれい)/1

鰐口(わにくち)/1

銅銭(どうせん)/1

(かめ)/3

椀型土器(わんがたどき)/1

その他伴出物一切/5

※こちらの国宝は、現在、玉川近代美術館(今治市玉川町)に収蔵されていますが、資料保存のため年間展示日数に制限があります。下記公式HPより展示スケジュールをご確認ください。

国宝『奈良原山経塚出土品』についての研究

楢原山からの出土以降、この国宝は多くの研究者を魅了してきました。

考古学的な発掘報告に始まり、「なぜ・誰が・どうやって」を求める研究もなされましたが、あまりの手がかりの少なさから、近年では学術的な調査研究が主流となっています。

考古学的な発掘報告?

​→どのようなものどのような形で出土したのかを記録・報告した、初歩的な研究。

なぜ、誰が、どうやって?

​→発掘に立ち会った鵜久森経峰氏は、出土品の状態から製作年代を推察し、当時この地域を治めていた伊予国司に焦点を当てていた。​ただし、とにかく確証と言えるものが一切ないため、推察の域を出ないままである。

学術的な調査研究?

​→出土品の成分分析や、デジタル解析による新たな発見と研究。かつて「純金製」とみられていたものが「金銅製」だと判明したり、国宝の中核をなす「銅宝塔」の表面に線刻された「種子曼荼羅」についての考察が深まったりしている。

研究論文一覧(当会で把握できたもののみです。他にご存知の方は、ぜひご連絡ください)

◆鵜久森経峰「伊予国越智郡奈良原神社境内 経塚の研究」1934

◆玉田栄二郎「奈良原神社境内経塚並に伴出物調査」『伊予史談』80号,1934

◆玉田栄二郎「伊豫奈良原神社境内経塚」『考古学雑誌』第25巻第1号,1935

◆鵜久森経峰「伊予奈良原神社経塚」『考古学』第6巻7号,1935

◆鵜久森経峰「伊予奈良原神社境内経塚調査報告」『史蹟名勝天然記念物』第10巻5・7・9号,1935

◆鵜久森経峰「奈良原経塚出土国宝経筒について」『伊予史談』97号,1939

◆蔵田蔵「銅製宝塔 奈良原神社蔵」『MUSEUM』32,1953

◆保坂三郎「国宝 銅宝塔 伊予国奈良原山経塚出土(奈良原神社蔵)」『考古学雑誌』第45巻第4号,1960

◆品部隆清「奈良原神社経塚出土品発掘状況について」『愛媛の文化』第2号,1965

◆渡部一止「奈良原山経塚出土品について」『愛媛の文化』第3号,1966

◆保坂三郎「伊予国奈良原山経塚出土銅宝塔について」『国宝鞍馬寺経塚遺物修理報告書』1966

◆石田茂作「奈良原山経塚遺物」『仏教美術の基本』1967

◆田中巳貴「経塚出土の青白磁合子」『MUSEUM』238,1971

◆保坂三郎「伊予奈良原山経塚出土品」『経塚論考』1971

◆斎藤彦松「伊予奈良原山頂経塚金銅製宝塔梵字の研究」『宗教研究』25巻,2号,1977

◆時枝務「奈良原山経塚出土銅宝塔種子曼荼羅の性格」玉川近代美術館,2020

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