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​長慶天皇伝説

長慶天皇は、第98代に数えられる南北朝時代・南朝方の天皇です。

後醍醐天皇から奈良県吉野に開かれた朝廷(南朝)の3代目となる天皇で、混乱した時代の中で信憑性のある資料がほとんどなく、在位すら疑問視されてきた謎多き人物として有名です。

研究者によってその在位が証明されたのは、大正15年のこと。南朝の正統性を掲げ、対立する北朝との徹底抗戦を主張していたといわれる長慶天皇の存在は、戦前の皇国史観のもとで一大ブームを巻き起こし、全国に広まりました。現在、日本全国に100ヶ所以上の伝説地が残るのは、その名残といわれます。

玉川町の長慶天皇伝説

南北朝時代、“奈良原さん”のふもとの玉川は、南朝側についていたといわれています。町内の寺院には、それを裏付けるように南朝側の元号が記された経典が数多く残され、そのようなつながりからか、玉川町にも長慶天皇の伝説が残っています。

このような伝説の根拠の一つとして、次の『芳闕嵐史(あるいは『鳳闕嵐史』)』という時代資料がよくあげられます。

ただし、この資料について上記引用元の別府頼雄氏は、同論文中で「この『鳳闕嵐史』は俗書または偽書といわれて現在では史家のかえり見ないもので信憑性がないものである。」と記しています。国内の他の歴史資料などにも明確な記載はなく、残念ながら、伝説は伝説でしかないようです。

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